2014年7月21日月曜日

長寿と繁栄を

SFという作品は自分の「未知」の部分を見せてくれて、それを知ることができるのが
とてもおもしろいから好きだ、みたいなことを書きました。
何かを知りたい、というのは誰もが持つ欲求の一つだと思います。
ウィキペディアを見て、知らない単語がでたらどんどんそのページに飛んでいき、その先でまた・・・
と繰り返していくのをやったことがありませんか?楽しくありませんでした?
トリビアの泉で変な知識を仕入れるの、楽しくありませんでした?
知識が埋まっていく、それだけで人間は楽しくなれるのです。
新たに知るという行為だけで人間は満足できます。
「知らないこと」を「知る前」の状態である時、その「知らないこと」は空想で補われます。
例えば、行ったことない街の話を聞くとしましょう。
当然自分は行ったことがないのでその街がどんなのか分かりません。
でも、「たぶんこういう感じなんだろう」と思ったりすることができます。それは空想です。
その後、自分がその街に行く機会があるとしましょう。(他人からの伝聞、グーグルアースだっていいです)
実際に見た、聞いた時、初めて空想と現実の差が埋まり、自分の中に「その街の事実」が知識として入ります。
未知の事象を知ることができればそれは空想から事実・知識になります。
そうやって知識を埋めていくのがとても大好き、楽しい。
SFが好きな理由はそこにつながります。

SF好きになった原点はおそらく誰もが通る道であろう、HGウェルズでした。
自分ももれなくその道を通りました。
「タイムマシン」も、「宇宙戦争」も、「透明人間」も読みました。
一番好きだったのは「宇宙戦争」でしたね。
地球の武器ではどうにもならない火星人の兵器、
そして火星人のテクノロジーの前に為す術もなく破れていくイギリス軍(とその他)、というのが
とても恐ろしく思えました。

HGウェルズの功績の一つに「発明」というのがあります。
この「発明」はいわゆる発明と言うより、SF世界での「発明」です。
「タイムマシン」内ではその名の通りタイムマシンを主人公に発明させるという「発明」をしました。
この時を超える機械だけでなく、冷凍睡眠装置やら火星人のロボットやら、
19世紀の世界では実現できない、また考えもしなかった装置を次々と作品内で生み出しました。
今のSFの基本的なギミックの大半は彼の功績と言っても過言ではないでしょう。
彼の「発明」があったからこそ、我々が未来を想像する時の下地ができているわけです。
外国では冷凍睡眠装置で人間を眠らせ、未来で起きることを目的とした団体が存在します。
火星を開発するため、行ったっきりの宇宙ツアーも計画されています。
これらの行動も彼の「発明」があったからこそ計画、実行に移されたものでしょう。
日本だって、ドラえもんを作るプロジェクトが実際に存在すると聞いています。
空想だった技術が現実になる、その空想の技術の元を作ったのは、他でもない彼なのです。
(ただ「ロボット」という言葉を生み出したのはウェルズではないです)

「未知」というものは人類を進歩させます。
未知を知ることは発見です。発見は発明を産み、発明は発見を産みます。
火を発見したから人類は進歩できました。
ニュートンが重力を発見したから、ガリレオが天体望遠鏡を発明したから・・・と
人類の進歩には全て発明と発見があります。
技術、文化の発達が新たな知識を呼び、新たな空想を呼び、それがまた新たな発見、発明となります。
SFもそれの一種だと思っています。
何百年後かに異星人と交流してる、何万光年も向こうに行っている、そんな空想をしたとしますね?
なぜそんな空想をするのか。それは異星人を知らないから、何万光年も向こうを知らないからです。
それを実際に知ろうとする、そのフロンティアスピリッツが人類の進歩を産むのです。
宇宙の探検も、ロボットを作るのも、まだ知らないステージに人類がたどり着くためのステップです。
空想だったもの、人類がまだ知らないアイテムだったものを実現する、そのためのテクノロジーを発見、発明する。
発見したテクノロジーで生み出したものを元にまだ新たな発見が生まれる、この繰り返し。
知らないものが現実になった場合、それは事実であり、知識になります。
SFの空想こそが、人類の進歩に必要なものであり、また「知りたい」という欲求を満たすものです。
人間誰もがSFを好きになれる下地は持っているはずです。種族として。

ウェルズの話に戻りますが、ウェルズが得意としていた分野は「未来小説」です。
ヴェルヌの海底二万里などの作品はいわゆる現代科学小説なのですが、
ウェルズは未来の世界を描き、ファンタジーの要素を取り入れることで「現実であり、現実でない」要素を生み出しています。
コレこそが彼の最大の魅力でもあるでしょう。前述した「発明品」もその「現実であり、現実でない」世界で生み出されたものです。
そして、それらの「発明品」は徐々に現実のものとなっています。冷凍睡眠装置も(半分未完成であるが)できた、宇宙船もできた、タイムマシンはまだだけど、転送装置(どっちかといえばレプリケーターに近い)ものも出来た。
そう、「現実であり、現実でなかった」世界が現実のものとなっているのです。科学の進歩によって。
二足歩行ロボットもできてしまった。ソフトバンクからでた奴など会話だってちょっとできる。
今使っているスマートフォンだって、20世紀では空想の産物に過ぎなかった。
20世紀のSF作品だったスマートフォンはもう当たり前のものとなっています。科学の進歩によって!
こうなるとSFはフィクションではなくなります。いうなれば「予言」です。
その「予言」もあやふやなものではなく、実際に起こる「記録」です。

20世紀の人にiPhoneの説明をしてみましょう。「どこの小説?」と鼻で笑われるかも知れません。
でも時がたち、iPhoneはもう事実として、そして当たり前のものとして受け入れられてます。
天動説が主流の時代に地動説を唱えた(空想した)コペルニクスも、当時は異端者でした。
でも、今は地球が自転しているのは小学生だって知っている。我々がもう「発見」して知っているから。
コペルニクスの時代に立派な技術があれば16世紀でもそれは「事実」として受け入れられていたはず。
技術がないだけ。でも、その技術は、科学は進歩します。
その空想が事実かどうか、実際はどうなのか「知る」ために技術は進歩し、発見し、知識として事実として受け入れられる。
空想は人類の発展のキーとなりうるものです。
そして、空想は実現していきます。実現への時間の差はあれど。

そうなると、こうは考えられませんか?
「SF作品は、未来の『事実』を描いた作品」だと。
実現への時間の差はあるだろうけど、空想の産物はどんどん現実になっている。
つまり、今触れているSF作品、これは「未来における実際の技術を用いた未来の事象」を描いている作品になります。
そう、我々はSF作品を通じて「未来の世界」を覗いているのです。

これは最大の「知る行為」だとは思いませんか?
言ってしまえば、もう「現代の世界」で知らないことはないでしょう。
地球の隅々まで人類は調べつくしてしまった。地球の地図で埋まってないところなどほぼありません。
たまに新たな発見はあれど、それは限定的なものです。変な生物であったり、過去の遺跡であったり。
太陽系にだってその手は及んでいます。地球が太陽系の第三惑星であることは我々は知っています。
地球における人類未踏の地だって、太陽系外にだって、探検隊を探査船を送り込めば
時間はかかれどいずれ知ることができましょう。
地球における過去は地面をほじくりかえせばいくらでも知れます。
知らないものを知った時点でそれは「現代の知識」として受け入れられます。
でも、人類にはどうしても知ることが出来ないものがあります。
それは「未来」です。

過ぎた過去、今ある現在は調べればわかりますが、未来ばっかりは経験してないので調べようもなく、分かりません。
つまり、「未来」はまだ手付かずでそのまま残っているのです。知識の宝庫です。
でも、我々はもう持っているではありませんか。その未来を知ることができる「預言書」を。
そう、SF作品です。
この預言書はそこらの予言者が適当に言うデタラメではなく、実際に起こることが書いてあります。
何年か後にはこんなことがある、こんな発明がある。
その預言書に書いてある年代とは誤差はあるでしょうが、それは必ず起こる事実です。
異星人とコンタクトする「現実」も来ます。それは「現在」ではありません。
でも、それは現在ではありませんが、「未来」における「現実」です。
開拓し発見発明し知ることで現実のものとして知識となるならば、
SF作品で見た「未来の現実」を「未来における現実」として「現代の現実」になりませんか?

わかりやすく例えるなら、2028年に東京オリンピックが行われる「未来の現実」を「現代の現実」として知っています。
この2028年というのはいわゆる「預言書内」の表記であるので、実際には2028年では無いかもしれません。
東京オリンピックでは新たな競技がオリンピック競技として追加されているかもしれません。
それは委員たちの議論によって決定されるでしょう。
その議論が科学の進歩にあたり、議論の結果が発明品として現代に生まれます。
その発明品である実際に行われる競技(野球ファンなので野球だといいな!)がオリンピックで行われている時、
それは2028年の現実として2028年の現在となっているでしょう。
 そんな感じで捉えてくれればわかりやすいと思います。伝わったか不安だ。

散々「絶対に起こる」とか「未来の現実」だとか言ってましたが
正確にはそうではないと思います。未来に起きる可能性のあることです。
ただ、勘違いしないで欲しいのはこの「可能性」という表現です。
自分はこの「可能性」を決定づける最大要素は「選択肢」だと思っています。
いわゆるゲームにおけるアレと同じです。
この選択肢と言うのは表現は少し難しいのですが、
一番近いと思っているのは「シュタインズ・ゲート」という作品にある「世界線」という表現です。

  この作品で世界線は数値で表され、その数値の変動で世界線の違いを表すのですが、
どの数値の世界線も「事実」として扱われています。
誰かが何かをする、という選択で世界線が変動し、誰かがAをした世界はこの世界線、Bをした世界はこの世界線、として
どちらの世界も「ありえる、ありえた」世界として扱っています。
 アインシュタインが発見した、原子力を兵器として使用しなかった世界線がどこかにあるのです。
 「ドラゴンボール」では未来から来たトランクスが説明してくれましたね。
「この時代で人造人間を壊しても僕の世界の人造人間は消えない、やっぱり悟空さんは死んだまま」
「今ドクターゲロの研究所を壊しておけば少なくともこの時代にセルはうまれない」
これも世界線の考え方に似ています。
未来のトランクスがいた世界線ではもう17号、18号(向こうでは19号20号?)が暴虐の限りを尽くした世界です。
メインストーリーでいくら敵を倒そうともそれは変わりませんでした。
未来のブルマが言った「孫くんが生きている世界があってもいいじゃない」みたいな発想は
世界線の考え方にそっくりです。

SF作品はその「世界線」の一つを描いたものにすぎないと思っています。
異星人とのファーストコンタクトを誤れば宇宙戦争になっているかもしれません。
もちろん正しいファーストコンタクトを、「選択」をしていれば
今我々が触れている素晴らしい未来が来ているかもしれません。
全ては選択によって決まり、SF作品は「その選択をした未来の事実」であります。
できれば、「平和な世界線」を描いている預言書の選択をトレースしていきたいものですが。
この先選択を間違えれば悲しい未来が待っていることだってあります。
選択をするのは我々人類です。

そんな自分の好きな「世界線」を描いている作品は「スター・トレック」です。
スタートレックの世界は23世紀、24世紀の世界を描いている作品ですが、
そこではバルカン人、クリンゴン人などの宇宙人と「惑星連邦」なるものを作り、
まだ探検したことのない「未踏の宇宙」を探索していくという作品です。
もう地球には国家もありません。国家統一組織であった地球連邦すらも、
他の銀河系の惑星の住人と「惑星連邦」という組織を作って生活しています。
なんでも作り出せるレプリケーターのお陰で貨幣すら存在せず、地球上は争いなく平等です。
なんとも素敵な世界じゃありませんか。
そして、もうそれぞれが探索し尽くしてしまった自分の星を飛び出し、
未踏の宇宙を冒険し、未だ知らない宇宙を「知りに行く」、
そう、スタートレックは作品内ですら「知識」を求めて探検をしているのです。
スタートレックの舞台の24世紀は現代の自分では体験できないテクノロジーを用いています。
その時点で新たな発見が多いというのに、さらにその技術を持って、新たな発見をしに行く。
我々からしたらもうたまらないものではありませんか。こんなに新たな知識を満たせる作品があるだろうか。

スタートレックにはいくつかシリーズがあるのですが、
特に好きなのは2作目「新スタートレック」と4作目「ヴォイジャー」です。
新スタートレックは特に宇宙探検に重みを置いた作品です。
USSエンタープライズ号という宇宙船で、太陽系があるアルファ宇宙域と呼ばれる宇宙を探検し、
新たな出会いも、新たな技術の発見もあります。もちろん、新たな敵との遭遇で争いにもまきこまれます。
勇敢なエンタープライズのクルーたちはどんな困難にも勇敢に立ち向かい、発見し、我々に知識をもたらしてくれます。
4作目のヴォイジャーは特に未知の塊でした。
異星人のテクノロジーにより地球から75000光年先の銀河系の反対側、デルタ宇宙域にとばされます。
ヴォイジャーはそこから遥か彼方、地球へ帰還するため、
最高速度ですら80年かかる75000光年という距離を旅するというお話です。
主な舞台となるデルタ宇宙域、そこは24世紀の惑星連邦が全く知らない、完全未踏の地であるのです。
完全未知の未来における完全未知の世界、もう、贅沢すぎます。
我々はヴォイジャーのクルーと一緒に未知の体験を楽しむことができるのです。

このヴォイジャーという作品が特に好きなのですが、理由の一つに「時間モノ」が多くあることです。
ヴォイジャーのクルーたちは未知の宇宙域で何度もタイムパラドックスに巻き込まれます。
24世紀から未来の技術も、また過去にも戻ったりしますし、過去の人間とも、未来の人間とも出会います。

ウェルズの作品で最初に読んだのは「タイムマシン」でした。
そう、時間がテーマになっていたのです。
ヴォイジャーという作品も時間がテーマになっている話が多くあります。
この時間というテーマが多いことが、自分の「原点」に触れているようで好きなのかもしれません。

自分はこの作品で宇宙にいろいろな興味を持ちました。
冒険も戦いも、いろんな人間ドラマも、多くの知識をこの作品は与えてくれました。
勇気もフロンティアスピリッツも、この作品から学びました。
それらの知識で新たな「自分」を「発見」することができました。
このスタートレックという作品が、スター・トレックという「未来の現実」が、自分は大好きです。
きっと未来にはこんな現実が訪れていることでしょう。
そんな選択を人類はしてほしい。

みなさんもぜひ、どれでもいいのでSF作品に触れてみて欲しいです。
そして、その作品における「未来の世界線」を見て欲しいです。
そして、思いを馳せてみてください。そんな現実が訪れたらいいな、と。
その現実は、今後人類の選択次第では確実に起こることなのです。ほんとうに来る未来です。
そしてその「未来の事実」を覗いてみることが、
みなさんの新たな発見に繋がると信じています。


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