2014年7月21日月曜日

長寿と繁栄を

SFという作品は自分の「未知」の部分を見せてくれて、それを知ることができるのが
とてもおもしろいから好きだ、みたいなことを書きました。
何かを知りたい、というのは誰もが持つ欲求の一つだと思います。
ウィキペディアを見て、知らない単語がでたらどんどんそのページに飛んでいき、その先でまた・・・
と繰り返していくのをやったことがありませんか?楽しくありませんでした?
トリビアの泉で変な知識を仕入れるの、楽しくありませんでした?
知識が埋まっていく、それだけで人間は楽しくなれるのです。
新たに知るという行為だけで人間は満足できます。
「知らないこと」を「知る前」の状態である時、その「知らないこと」は空想で補われます。
例えば、行ったことない街の話を聞くとしましょう。
当然自分は行ったことがないのでその街がどんなのか分かりません。
でも、「たぶんこういう感じなんだろう」と思ったりすることができます。それは空想です。
その後、自分がその街に行く機会があるとしましょう。(他人からの伝聞、グーグルアースだっていいです)
実際に見た、聞いた時、初めて空想と現実の差が埋まり、自分の中に「その街の事実」が知識として入ります。
未知の事象を知ることができればそれは空想から事実・知識になります。
そうやって知識を埋めていくのがとても大好き、楽しい。
SFが好きな理由はそこにつながります。

SF好きになった原点はおそらく誰もが通る道であろう、HGウェルズでした。
自分ももれなくその道を通りました。
「タイムマシン」も、「宇宙戦争」も、「透明人間」も読みました。
一番好きだったのは「宇宙戦争」でしたね。
地球の武器ではどうにもならない火星人の兵器、
そして火星人のテクノロジーの前に為す術もなく破れていくイギリス軍(とその他)、というのが
とても恐ろしく思えました。

HGウェルズの功績の一つに「発明」というのがあります。
この「発明」はいわゆる発明と言うより、SF世界での「発明」です。
「タイムマシン」内ではその名の通りタイムマシンを主人公に発明させるという「発明」をしました。
この時を超える機械だけでなく、冷凍睡眠装置やら火星人のロボットやら、
19世紀の世界では実現できない、また考えもしなかった装置を次々と作品内で生み出しました。
今のSFの基本的なギミックの大半は彼の功績と言っても過言ではないでしょう。
彼の「発明」があったからこそ、我々が未来を想像する時の下地ができているわけです。
外国では冷凍睡眠装置で人間を眠らせ、未来で起きることを目的とした団体が存在します。
火星を開発するため、行ったっきりの宇宙ツアーも計画されています。
これらの行動も彼の「発明」があったからこそ計画、実行に移されたものでしょう。
日本だって、ドラえもんを作るプロジェクトが実際に存在すると聞いています。
空想だった技術が現実になる、その空想の技術の元を作ったのは、他でもない彼なのです。
(ただ「ロボット」という言葉を生み出したのはウェルズではないです)

「未知」というものは人類を進歩させます。
未知を知ることは発見です。発見は発明を産み、発明は発見を産みます。
火を発見したから人類は進歩できました。
ニュートンが重力を発見したから、ガリレオが天体望遠鏡を発明したから・・・と
人類の進歩には全て発明と発見があります。
技術、文化の発達が新たな知識を呼び、新たな空想を呼び、それがまた新たな発見、発明となります。
SFもそれの一種だと思っています。
何百年後かに異星人と交流してる、何万光年も向こうに行っている、そんな空想をしたとしますね?
なぜそんな空想をするのか。それは異星人を知らないから、何万光年も向こうを知らないからです。
それを実際に知ろうとする、そのフロンティアスピリッツが人類の進歩を産むのです。
宇宙の探検も、ロボットを作るのも、まだ知らないステージに人類がたどり着くためのステップです。
空想だったもの、人類がまだ知らないアイテムだったものを実現する、そのためのテクノロジーを発見、発明する。
発見したテクノロジーで生み出したものを元にまだ新たな発見が生まれる、この繰り返し。
知らないものが現実になった場合、それは事実であり、知識になります。
SFの空想こそが、人類の進歩に必要なものであり、また「知りたい」という欲求を満たすものです。
人間誰もがSFを好きになれる下地は持っているはずです。種族として。

ウェルズの話に戻りますが、ウェルズが得意としていた分野は「未来小説」です。
ヴェルヌの海底二万里などの作品はいわゆる現代科学小説なのですが、
ウェルズは未来の世界を描き、ファンタジーの要素を取り入れることで「現実であり、現実でない」要素を生み出しています。
コレこそが彼の最大の魅力でもあるでしょう。前述した「発明品」もその「現実であり、現実でない」世界で生み出されたものです。
そして、それらの「発明品」は徐々に現実のものとなっています。冷凍睡眠装置も(半分未完成であるが)できた、宇宙船もできた、タイムマシンはまだだけど、転送装置(どっちかといえばレプリケーターに近い)ものも出来た。
そう、「現実であり、現実でなかった」世界が現実のものとなっているのです。科学の進歩によって。
二足歩行ロボットもできてしまった。ソフトバンクからでた奴など会話だってちょっとできる。
今使っているスマートフォンだって、20世紀では空想の産物に過ぎなかった。
20世紀のSF作品だったスマートフォンはもう当たり前のものとなっています。科学の進歩によって!
こうなるとSFはフィクションではなくなります。いうなれば「予言」です。
その「予言」もあやふやなものではなく、実際に起こる「記録」です。

20世紀の人にiPhoneの説明をしてみましょう。「どこの小説?」と鼻で笑われるかも知れません。
でも時がたち、iPhoneはもう事実として、そして当たり前のものとして受け入れられてます。
天動説が主流の時代に地動説を唱えた(空想した)コペルニクスも、当時は異端者でした。
でも、今は地球が自転しているのは小学生だって知っている。我々がもう「発見」して知っているから。
コペルニクスの時代に立派な技術があれば16世紀でもそれは「事実」として受け入れられていたはず。
技術がないだけ。でも、その技術は、科学は進歩します。
その空想が事実かどうか、実際はどうなのか「知る」ために技術は進歩し、発見し、知識として事実として受け入れられる。
空想は人類の発展のキーとなりうるものです。
そして、空想は実現していきます。実現への時間の差はあれど。

そうなると、こうは考えられませんか?
「SF作品は、未来の『事実』を描いた作品」だと。
実現への時間の差はあるだろうけど、空想の産物はどんどん現実になっている。
つまり、今触れているSF作品、これは「未来における実際の技術を用いた未来の事象」を描いている作品になります。
そう、我々はSF作品を通じて「未来の世界」を覗いているのです。

これは最大の「知る行為」だとは思いませんか?
言ってしまえば、もう「現代の世界」で知らないことはないでしょう。
地球の隅々まで人類は調べつくしてしまった。地球の地図で埋まってないところなどほぼありません。
たまに新たな発見はあれど、それは限定的なものです。変な生物であったり、過去の遺跡であったり。
太陽系にだってその手は及んでいます。地球が太陽系の第三惑星であることは我々は知っています。
地球における人類未踏の地だって、太陽系外にだって、探検隊を探査船を送り込めば
時間はかかれどいずれ知ることができましょう。
地球における過去は地面をほじくりかえせばいくらでも知れます。
知らないものを知った時点でそれは「現代の知識」として受け入れられます。
でも、人類にはどうしても知ることが出来ないものがあります。
それは「未来」です。

過ぎた過去、今ある現在は調べればわかりますが、未来ばっかりは経験してないので調べようもなく、分かりません。
つまり、「未来」はまだ手付かずでそのまま残っているのです。知識の宝庫です。
でも、我々はもう持っているではありませんか。その未来を知ることができる「預言書」を。
そう、SF作品です。
この預言書はそこらの予言者が適当に言うデタラメではなく、実際に起こることが書いてあります。
何年か後にはこんなことがある、こんな発明がある。
その預言書に書いてある年代とは誤差はあるでしょうが、それは必ず起こる事実です。
異星人とコンタクトする「現実」も来ます。それは「現在」ではありません。
でも、それは現在ではありませんが、「未来」における「現実」です。
開拓し発見発明し知ることで現実のものとして知識となるならば、
SF作品で見た「未来の現実」を「未来における現実」として「現代の現実」になりませんか?

わかりやすく例えるなら、2028年に東京オリンピックが行われる「未来の現実」を「現代の現実」として知っています。
この2028年というのはいわゆる「預言書内」の表記であるので、実際には2028年では無いかもしれません。
東京オリンピックでは新たな競技がオリンピック競技として追加されているかもしれません。
それは委員たちの議論によって決定されるでしょう。
その議論が科学の進歩にあたり、議論の結果が発明品として現代に生まれます。
その発明品である実際に行われる競技(野球ファンなので野球だといいな!)がオリンピックで行われている時、
それは2028年の現実として2028年の現在となっているでしょう。
 そんな感じで捉えてくれればわかりやすいと思います。伝わったか不安だ。

散々「絶対に起こる」とか「未来の現実」だとか言ってましたが
正確にはそうではないと思います。未来に起きる可能性のあることです。
ただ、勘違いしないで欲しいのはこの「可能性」という表現です。
自分はこの「可能性」を決定づける最大要素は「選択肢」だと思っています。
いわゆるゲームにおけるアレと同じです。
この選択肢と言うのは表現は少し難しいのですが、
一番近いと思っているのは「シュタインズ・ゲート」という作品にある「世界線」という表現です。

  この作品で世界線は数値で表され、その数値の変動で世界線の違いを表すのですが、
どの数値の世界線も「事実」として扱われています。
誰かが何かをする、という選択で世界線が変動し、誰かがAをした世界はこの世界線、Bをした世界はこの世界線、として
どちらの世界も「ありえる、ありえた」世界として扱っています。
 アインシュタインが発見した、原子力を兵器として使用しなかった世界線がどこかにあるのです。
 「ドラゴンボール」では未来から来たトランクスが説明してくれましたね。
「この時代で人造人間を壊しても僕の世界の人造人間は消えない、やっぱり悟空さんは死んだまま」
「今ドクターゲロの研究所を壊しておけば少なくともこの時代にセルはうまれない」
これも世界線の考え方に似ています。
未来のトランクスがいた世界線ではもう17号、18号(向こうでは19号20号?)が暴虐の限りを尽くした世界です。
メインストーリーでいくら敵を倒そうともそれは変わりませんでした。
未来のブルマが言った「孫くんが生きている世界があってもいいじゃない」みたいな発想は
世界線の考え方にそっくりです。

SF作品はその「世界線」の一つを描いたものにすぎないと思っています。
異星人とのファーストコンタクトを誤れば宇宙戦争になっているかもしれません。
もちろん正しいファーストコンタクトを、「選択」をしていれば
今我々が触れている素晴らしい未来が来ているかもしれません。
全ては選択によって決まり、SF作品は「その選択をした未来の事実」であります。
できれば、「平和な世界線」を描いている預言書の選択をトレースしていきたいものですが。
この先選択を間違えれば悲しい未来が待っていることだってあります。
選択をするのは我々人類です。

そんな自分の好きな「世界線」を描いている作品は「スター・トレック」です。
スタートレックの世界は23世紀、24世紀の世界を描いている作品ですが、
そこではバルカン人、クリンゴン人などの宇宙人と「惑星連邦」なるものを作り、
まだ探検したことのない「未踏の宇宙」を探索していくという作品です。
もう地球には国家もありません。国家統一組織であった地球連邦すらも、
他の銀河系の惑星の住人と「惑星連邦」という組織を作って生活しています。
なんでも作り出せるレプリケーターのお陰で貨幣すら存在せず、地球上は争いなく平等です。
なんとも素敵な世界じゃありませんか。
そして、もうそれぞれが探索し尽くしてしまった自分の星を飛び出し、
未踏の宇宙を冒険し、未だ知らない宇宙を「知りに行く」、
そう、スタートレックは作品内ですら「知識」を求めて探検をしているのです。
スタートレックの舞台の24世紀は現代の自分では体験できないテクノロジーを用いています。
その時点で新たな発見が多いというのに、さらにその技術を持って、新たな発見をしに行く。
我々からしたらもうたまらないものではありませんか。こんなに新たな知識を満たせる作品があるだろうか。

スタートレックにはいくつかシリーズがあるのですが、
特に好きなのは2作目「新スタートレック」と4作目「ヴォイジャー」です。
新スタートレックは特に宇宙探検に重みを置いた作品です。
USSエンタープライズ号という宇宙船で、太陽系があるアルファ宇宙域と呼ばれる宇宙を探検し、
新たな出会いも、新たな技術の発見もあります。もちろん、新たな敵との遭遇で争いにもまきこまれます。
勇敢なエンタープライズのクルーたちはどんな困難にも勇敢に立ち向かい、発見し、我々に知識をもたらしてくれます。
4作目のヴォイジャーは特に未知の塊でした。
異星人のテクノロジーにより地球から75000光年先の銀河系の反対側、デルタ宇宙域にとばされます。
ヴォイジャーはそこから遥か彼方、地球へ帰還するため、
最高速度ですら80年かかる75000光年という距離を旅するというお話です。
主な舞台となるデルタ宇宙域、そこは24世紀の惑星連邦が全く知らない、完全未踏の地であるのです。
完全未知の未来における完全未知の世界、もう、贅沢すぎます。
我々はヴォイジャーのクルーと一緒に未知の体験を楽しむことができるのです。

このヴォイジャーという作品が特に好きなのですが、理由の一つに「時間モノ」が多くあることです。
ヴォイジャーのクルーたちは未知の宇宙域で何度もタイムパラドックスに巻き込まれます。
24世紀から未来の技術も、また過去にも戻ったりしますし、過去の人間とも、未来の人間とも出会います。

ウェルズの作品で最初に読んだのは「タイムマシン」でした。
そう、時間がテーマになっていたのです。
ヴォイジャーという作品も時間がテーマになっている話が多くあります。
この時間というテーマが多いことが、自分の「原点」に触れているようで好きなのかもしれません。

自分はこの作品で宇宙にいろいろな興味を持ちました。
冒険も戦いも、いろんな人間ドラマも、多くの知識をこの作品は与えてくれました。
勇気もフロンティアスピリッツも、この作品から学びました。
それらの知識で新たな「自分」を「発見」することができました。
このスタートレックという作品が、スター・トレックという「未来の現実」が、自分は大好きです。
きっと未来にはこんな現実が訪れていることでしょう。
そんな選択を人類はしてほしい。

みなさんもぜひ、どれでもいいのでSF作品に触れてみて欲しいです。
そして、その作品における「未来の世界線」を見て欲しいです。
そして、思いを馳せてみてください。そんな現実が訪れたらいいな、と。
その現実は、今後人類の選択次第では確実に起こることなのです。ほんとうに来る未来です。
そしてその「未来の事実」を覗いてみることが、
みなさんの新たな発見に繋がると信じています。


2014年7月5日土曜日

会いたいときはどうする?

春アニメも終わったので
久しぶりにアニメランキングベスト3でもつけようと思います


3位:ラブライブ!2nd Season

いろいろありましたが、やはり素晴らしいアニメだったと思います。
明確なテーマである「卒業」が節々に見え隠れし、感動的な作品になったのではないでしょうか。


外国のドラマやら映画やらを参考にしているシーンも有る、という話でしたが、
全体的にそれっぽい感じは節々に感じれましたし、特に13話ラストなどはそれっぽい終わり方が
出来たように感じ(個人的にはバックトゥザフューチャーPart1的な)、一貫性があったのではないかと思います。
でもやっぱ劇中劇って表現のほうがしっくりこなくもないかも?
2期1話があらすじ歌ではじまり、最後も歌でシメる、ミュージカルに近い何か。

話としてはギャグ回がずいぶんやってしまった感じはしたものの、
個人の掘り下げもですが、何より「μ's」というものに対する掘り下げがよく出来ていましたね。
アイドルとしての「μ's」、アイドル研究会としての「μ's」、高校生としての「μ's」が見れて
個人的には満足でした。
アイドルとして成功する、ラブライブ優勝という大きな目標を達成する(した)アイドルとしてのμ's、
3年生最後の大会という部活動的意味合いとしてのμ's、
そして、9人の居場所であり、1年間の活動の個人個人の想い、卒業式で見せてくれた歌、
メンバーそれぞれのアイドル、μ'sに対する姿勢を見せてくれたのは嬉しかった。

2期のテーマの一つである「叶え、みんなの夢」というものはμ'sの魅力をぎゅっと詰め込んだステキなものだったと思います。
それは10話「μ's」ではっきり出来たと思います。
某所でもあげられていましたが、
A-RISEの「隙のなさ」に対し「隙だらけ」のμ's、
その「隙」がある分「好き」になれるスクールアイドル、アニメのμ'sを的確に現せていたのではないでしょうか。
雪穂が言った「なんか応援しなきゃいけないって気持ちにはなるんだよね」っていう想い、それが
「隙」が「好き」につながった瞬間。
9話で学校のみんなが雪かきしてくれたのもそれが理由なのだと思います。
危なっかしいし頼りない、心配。だからみんなで応援してあげなきゃっていう気持ちになれる、
みんなで応援してμ'sに頑張ってもらいたい、
そんな「みんなの夢」を叶える話、それがラブライブだ、というものを10話では見せてくれました。
2期10話、本当に好きな話です。

13話のラストのラストで、なにか続きがあるような思わせぶりな終わり方をして、「劇場版!」の発表。
これはなんか「続きは劇場版で!」っていう感じがしてなんか微妙でしたね・・・
もちろんそうではなく、「ラブライブというコンテンツはまだ終わらないよ!」という意味合いで
花陽にメールを受け取らせ、3年生も校門をくぐらないまま学校に戻っていったはずなのですが
これだと結末が観たいなら劇場こいや!ってとられかねないですよね。もったいないぞ



2位 :ノーゲーム・ノーライフ

この作者はエンターテイメント性にかけては業界トップクラスだと思っているのですが、
アニメもその能力をふんだんに生かしたもの(脚本もやったりしてた!)になってましたね。
ほんと「魅せ方」がうまいんだこいつは
特に8話のED、ソラが消えたところからの画面が白黒になりそのままED,
EDからソラは消え白黒になり砂嵐が走る、ドキッとしました、
「くうはく」が崩壊していく様子が感じられるようで怖かったですね。

あとは主人公のカリスマ性でしょうか。
すごいネガティブな設定を持ちながらもその演説力、キャラの強さ、行動力には惹かれてしまいます。
こんな強さを持った人間になりたかった。

原作通りの終わり方をしたためまだまだ続きそうな感じで終わりましたが、
いい終わり方だったと思いますよ!

主人公以外、特にステフがすごくコミカルに描かれていたのも魅力の一つだったと思います。
原作のあたふたぶり、振り回されっぷりを日笠さんがすばらしい演技力で再現してくれたのが最高でした。
それでいて、「欠かせない仲間」であることを忘れさせない、大事なキャラで最後までいてくれました。

これ、ホント4巻以降もアニメで観たいなあ。



1位:シドニアの騎士


1位にはあえてコレを選びました。アニメは分割っぽいのでまだまだ途中なのですが
最初から最後までドキドキしながら見れました。こういうのは大事です。

星白がガウナに殺され、それが敵となり再び立ちふさがる、
通信で入ってくる「ホシジロ イッキ ゲキハ」の無機質な声、とても怖かったです。

何よりどんどこ人が死んでくシーンは悲しい物がありましたね・・・
未知のものと戦うバトルSFモノは大好きです。
宇宙空間という逃げ場のない場所で戦う、常に「背水の陣」というハラハラ感、
未知のものに対する恐怖、そして未来のテクノロジーを駆使して戦う、
ハラハラ・ドキドキ、そしてワクワクしっぱなしの作品だったと思います。

新たなる恐怖だけでなく、過去の「未知」にもスポットを当てていたのはステキでした。
シドニアとは何なのか、「落合」とは、そしてシドニア深部にいたガウナとは、とか
内部に対する謎も深まり惹きつけられます。

「未知」を知ることというのは人間誰もが持つ最高の娯楽であると思っているのですが、
SF作品というものは「未知」がたくさん飛び出てくるステキなジャンルです。
特にとんでもない未来の作品だとなおよし。

自分の好きな作品に「スタートレック」があるのですが、
(スターウォーズも好きだけどスタートレックのほうが好きなのでトレッキーなのだと思う)
その作品でも言っていた「宇宙は最後のフロンティア」という言葉がSFに対する魅力を表しています。
未知なる宇宙を開拓する、それがSFの楽しみ、ひいては人類の楽しみです。
シドニアの騎士という作品はそういう意味では未知を知る楽しみ方ができました。
ただ探索モノではないので主にガウナとの戦闘になりますが・・・

2期ではさらなる「未知」を見せてくれるものと信じています。

そうそう、宇宙服にろ過システムがあって水が飲める、というのも未知でしたね。





春アニメ、好きな作品多かったです。
Top3にはあげませんでしたが
・ごちうさ
・チャイカ
・ブラック・ブレット
・デートアライブ
・悪魔のリドル
・ウィクロス
などなど上げればきりがないのですが
魅力的な作品が多かったです。
特にブラック・ブレット、ウィクロス、リドルは予想以上に楽しめました。
ブラック・ブレットは電撃では少なくなった陰鬱とした作品でありますが、
その魅力をたっぷり表現してくれた辛い作品にしてくれましたし、
ウィクロスに関してはもうエグい、えぐすぎるよ・・・
リドルは後述します




好きなアニメってのは割といろいろあるのですが、
特に自分の好きなアニメってのを自分で選出してみて、
その中での共通点を炙りだした結果、
どうも

・主人公が女の子
・女の子がいっぱい出てくる(女の子の比率がゲロクソ高い)
・女の子同士がいちゃこらする
・どう考えても別の女の子に少なからず好意を抱いている奴がいる(恋愛感情的であったりもする)
・青春の1ページ的ストーリー
・なにか熱い想いが感じられる(どんなものでもいい 対象がどんなのであってもいい)

みたいなのが特に好きになる傾向があるようで。
男が出てくるのは別にいいんですし、男が嫌いなわけでもないし、もちろん男が出てくる作品で好きなのも多いです
男が主人公のアニメで好きな作品もいっぱいあります。
ただ、そういう作品は割と4番目の項目が「男女の」恋愛感情みたいな感じになるんですよ。
女の子が多くなるとハーレム的展開男の取り合いみたいな展開になりがちですね、
そういうの別に嫌いではないですし、そういう作品をよく見ます(そういう作品ばっか見てる気もする)けど、
そういう作品は少なからず男の欲望が見え隠れして、ちょっときたない(語弊)感じがするんです。
それはそれで嬉しいんですけど、おもしろいかと言われると微妙、心には来ない。

男の子の「好き」と女の子の「好き」は違うと自分は考えています。
男の子の「好き」はどうも性欲方向に向いている気がする。たぶん。おそらく。
女の子の「好き」は「一緒にいたい、相手と時間(とかいろいろ)を共有したい」的な意味があると思っています。
自分はどうも女の子の「好き」の方が観たいと思っているみたい。
自分は男が嫌いなのだろうか・・・いやいや
そもそもこの男女の「好き」の差が合ってるかどうかも分からないですが・・・
とにかく、自分が観たいのはこの2つならば「女の子の好き」が観たい。
男がメインで出てくると絶対「男の好き」が出てくるし、
よくある『なんでこの男は女の子にここまでされても襲わないんだ』的男主人公でも、
その『女の子がここまでする』のは男の「好き」に訴えかけようとしているからに他ならないわけで、
それはやっぱり男の「好き」が表現されているからイヤ。(観るけど)
そう考えていくと必然的に男がいない作品のほうが好きになりますね・・・

咲とかストライクウィッチーズとかやったら好きなんですけど割と上記に当てはまるのではないでしょうか
ストライクウィッチーズが青春の1ページであるかは置いといて。
(でも、世界を守る的青春もいいよね)
僕の知らなそうな上記っぽいアニメ教えてくれてもいいですよ。
たぶん好きです。

アニメに男が出ない理由は他に「特定のエンディング」をつくらないってのももしかしたらあるのかも。
誰かルートに入っちゃえば他の子のファンが阿鼻叫喚に・・・ってのを避けたいため、かもしれない
知らんけど!!!








ただ一番重要なのは最後の項目「なにか熱い思いがある」というもの。
これはどんなものでもいいんですが、「友情」とか「絆」とか「仲間」とか
それらに対する想いだとステキですね。
咲とかストライクウィッチーズを先ほどあげましたが、この2つもこの項目に当てはまってると個人的には思います。
咲ならばまあインターハイ優勝という明確なものもありますが、個人的にはインターハイで勝ちたいというより
彼女たちの(男もいるけど)「負けたくない」という感情の方に魅力を感じています。
清澄メンバーを例に取ると、咲さんは「お姉ちゃんに会いたい、お姉ちゃんと麻雀で話したい」という理由のために
負けられない、というものがあると思います。
原村さんなら「負けたら転校させられてしまう、大切な仲間(部員)と離れてしまう」、というものがみえてきます。
もちろん咲さんに対する思いと言うのものもありますね。
長くなるので省略しますが部長にもまこにも優希にもいろんな思いがありますし、
他の学校のメンバーの「負けられない理由」もしっかり描かれています。
清澄や阿知賀が勝ち上がっていくための「踏み台」になっている学校それぞれの負けられない理由、
を適当に流さずにちゃんと描写してくれる、そこがこの作品の魅力の一つですね。
ストライクウィッチーズは宮藤さんや坂本さんがよく言っている「守りたい」これにつきます。
守りたいものは国のみんな、地球のみんな、501のみんな、いろいろありますが
その話その話その人それぞれの「守りたい想い」がとてもステキです。
どんなものであれ、「強い想い」というものは作品をより魅力的に仕上げてくれます。


とにかく、最初にあげた6項目を満たすようなアニメが好きなんです。
それにいろんな要素を加味した結果、春アニメは悪魔のリドルとラブライブが好きでしたね・・・

 ラブライブは何回も言ってるからいいとして悪魔のリドルは予想外に好きだった。
 上記の条件だいたい当てはまってるのがつよい。
凄腕の暗殺者っぽく見えるのにどこかぽんこつ
同室の子は絶対お互い好きだろっていう感じもそうです。

この作品、マンガのほうはもう各キャラめっっちゃかわいいので
ぜひ読んだほうがいい。
ほんとうに可愛いです。